{
2006/11/29(水) }
昨日、自宅の水槽から水を抜き、いつでも運び出せるように解体した。
1500×600×600のオーバーフロー水槽である。2~3年前まではディスカスが泳いでいた。それから・・?魚はいないが、いつでも魚を入れられるように水も循環していた。
いつだっただろう?一度、ポンプを止めたことがある。数日後に水を抜く予定だったが、モーター音。水の音。この音が消えると自分の家ではないような気がした。これはキーパーも同じで、静か過ぎる家は外の音が聞こえすぎるのか、落ち着かないようだった。全員が落ち着かないので、半日後には魚のいない水槽がまた動き出していた。
キーパーの生活音として活躍していた水槽も今はその役目も終わり、店に移動することになったのである。水の音がなくなった昨日は静か過ぎて眠れなかったが、そのうち慣れるだろう。
魚がいなくて寂しくないか?
店にはディスカスがいっぱいいるし、今ではバックルームもあるので自分のディスカスも飼育しているから大丈夫!1500水槽も、バックルームに引っ越しです!
1500×600×600のオーバーフロー水槽である。2~3年前まではディスカスが泳いでいた。それから・・?魚はいないが、いつでも魚を入れられるように水も循環していた。
いつだっただろう?一度、ポンプを止めたことがある。数日後に水を抜く予定だったが、モーター音。水の音。この音が消えると自分の家ではないような気がした。これはキーパーも同じで、静か過ぎる家は外の音が聞こえすぎるのか、落ち着かないようだった。全員が落ち着かないので、半日後には魚のいない水槽がまた動き出していた。
キーパーの生活音として活躍していた水槽も今はその役目も終わり、店に移動することになったのである。水の音がなくなった昨日は静か過ぎて眠れなかったが、そのうち慣れるだろう。
魚がいなくて寂しくないか?
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2006/11/27(月) }
今日は家族を紹介しよう。
キーパーです!
去年の11歳の誕生日です。
ミニチュアダックスのスムースで男の子。
可愛いでしょう!
読むのが辛くなったら、遠慮なく勇気をもって読むのを止めてくださいね。
彼との出会いは平成7年の2月。
近くのホームセンターのペットショップ。
この頃私はサラリーマンで、ディスカスに夢中でした。今はなくなってしまいましたが某ショップの人と、ペナンへディスカスを買いに行く程でした。今だから話せることですが、購入予算は100万円で、当時流行っていたブルーダイヤを買いまくりました。マンション暮らしなので温室などはありませんが、水槽はリビングに置けるだけ置いていました。その水槽本数は16本!18本だったかな? 男は機械的なものが好きなのか、給排水の配管を組んで、「ゲーベルの温室みたいになってきたな~」と喜んでいたものです。もちろんこの頃ゲーベル氏は、私にとって本の上のスーパースターで、憧れ的存在でした。「会いたい」なんていう、大それた考えもありません。今思えばこの頃から、ディスカスの目標は“魚”ではなくゲーベルという「人」だったのかもしれません。日々、ディスカスの管理を楽にするためにどうするかを考え、配管、電気のスイッチ・・・リビングには似合わない秘密工場を夢描いていました。「何か使えるものはないかな?」と、ホームセンターに通っていたのもディスカスホビーのためでした。
妻(その頃は結婚していなかったので彼女かな)と2人でホームセンターのペットショップを覗いた時、「俺ならこの黒いダックスがいいな。」と飼うつもりもないのでひとり言のように話すと、妻は「え~っ。でも可愛いね。」と話を合わせる程度でした。そんな時、店のスタッフが、「抱いてみます?」とその黒いダックスを連れて来ました。抱っこした瞬間、妻も私も心の中は「家族にしよう」でした。それが“キーパー”です。
平成7年の2月にキーパーを迎え入れ、5月頃まではサラリーマン生活を順調に過ごします。空の45cm水槽を洗うために、風呂まで運んだ時でした。“ギク!”と腰に激痛が走り、1歩も動けなくなってしまいました。このぎっくり腰が、私の人生を一変させるきっかけとなります。仕事を休んでいる期間、「熱帯魚屋でもやろうかな。」と、ポッと浮かんだ安易な考え。6月には退職届を出し、サラリーマン生活に終止符を打ちます。それから11年間、夢中で店をやってきました。キーパーが、家族になったと同時にスタートしたディスカス人生。キーパーと共に歩んだ期間・・だったら良かったのですが・・・。
店を始めてからは、全てが初体験。毎日が戦いで、家族であるキーパーは、本当は家族として扱われていなかったのかもしれません。ディスカス人生を歩むには、キーパーが足手まといだったのかもしれません。私が店へ行けば、キーパーは留守番。キーパーの留守番生活が何年続いたでしょうか?2~3年経った頃でしょうか、いつでも一緒にいられるように店に連れて来たこともありました。1年くらい頑張ったのですが、お客様が来ると吠えてご挨拶。キャンキャンならまだいいのですが、体の大きさに似合わず大きな声で“ウォン!”と一発かまします。お客様もビックリするのですが、私も毎回ビックリ。キーパーを可愛がってくれるお客様も多かったのですが、1年後にはリストラされ、家の留守番役に舞い戻ってしまいました。
キーパーの生活は、私たちが起きる時間と共に起床。11時半頃に私たちは仕事に出かけると、キーパーは留守番。私たちの帰宅は夜の9時半頃。時には午前様の時もあります。朝の数時間と夜の数時間は、キーパーと遊んであげられるのですが、それ以外は一人ぼっち。彼の人生は留守番人生だったのかもしれません。
キーパーはとにかく遊び好きでした。最近のお気に入りは、女性が髪を束ねる輪ゴム。普通の輪ゴムくらいの大きさですが、もっと太くて細い毛糸のようなもので包まれているものです。100円均一のショップで、いつもまとめ買いしていました。このゴムをジュータンや布団の下に自分で隠し、掘って探します。ゴムを探しているキーパーに「無いね~」と声をかけるとパワー全開で探します。犬用の“ピーコ!ピーコ!”鳴るおもちゃも大好きでした。彼は鳴らすのが目的ではなく、鳴らなく破壊することが好きでした。平均10秒程度で壊す早業です。昔、ペットのおもしろビデオに投稿しようと思った特技もありました。それは、これも女性が髪を束ねるものですが、ヘアーバンドで遊びます。幅3cmくらいで、両手で輪を作ったくらいの大きさの物です。これを片足に引っ掛けて地面に固定し、鼻に引っ掛けてヘアーバンドを伸ばし、足に引っ掛けていたのを外します。すると伸びていたヘアーバンドは、勢い良く空中に飛び出します。足と鼻を使ってヘアーバンドを伸ばして飛ばすのです。そして・・・キャッチ!
私たちが家に帰れば、「待ってたよ~。何して遊ぶ?」と、いつでも私たちの周りにいてくれました。留守がちな私たちが家にいる時は、べったりの甘えん坊。いつでも元気な姿でいてくれたキーパーが、今年9月に体調を崩しました。今、思えば8月の終わりごろから異変があったかもしれません。9月初め、急激に元気が無くなり、寝ていたキーパーが起き上がると同時に、おしっこを大量に漏らしてしまいました。食欲も無く、獣医さんには心臓弁膜症と診断されました。このとき妻は、「このまま死んでしまうのかな?」と思うくらい、元気が無かったそうです。私は出張だったので、後で聞いたことでした。私が出張から帰った頃は、獣医さんのおかげで元気を取り戻していました。元気になったキーパーに、「あまり遊びすぎると、心臓が壊れちゃうぞ。」と声をかけますが、いつものペースで遊びまくります。こんな姿を見ていると、何の不安もありませんでした。
10月後半。徐々に食欲がなくなってきました。あれだけ食べることが好きだったキーパーが、朝ごはんを一口も食べません。獣医に行くと、おしっこが出ていないことが分かりました。おしっこの回数が増えていたのは知っていましたが、年をとったので回数が増えたと思っていました。でも膀胱はパンパンで、カーテルでおしっこを出してもらいます。帰宅すると、おしっこもスッキリしたのか食欲も戻り、バクバク食べてくれました。それからは毎日獣医に通い、おしっこを出してもらいます。時には、1日2回通ったこともありました。家では、膀胱を押しておしっこを搾り出します。おしっこを出して食欲が出たのは、初めの1回だけでした。少しは食べてくれるのですが心配です。犬用の缶詰は、店が開けるくらいいろいろな種類を買いあさりました。獣医に薦められた、マグロの赤身、牛の赤みは、すでに食べてくれません。プリンを与えれば、初めは食べるのですが続きません。ヨーグルト、シュークリーム。「何でもいいから、口にしてくれ。」と必死でした。この頃は、獣医さんでおしっこを出してもらいながら栄養剤を注射してもらう生活でした。キーパーが生きるためなら、1年でも2年でも獣医に通う気持ちです。きっと妻も、永遠にキーパーと共に獣医に通いたいと思っていたはずです。
11月6日。私はいつも通り昼前に店へ出かけます。妻は家でキーパーの看護です。14時過ぎだったでしょうか、妻から電話があり「キーパーが!帰ってきて!」と、電話の向こうで泣き叫んでいます。店はヨウコさんに任せて、すぐに帰宅。家に帰ると、横たわったキーパーは顔を上げて私を見るなり、尻尾を全開に振って喜んでいます。“だめか”と思いながら家に帰った私にとって、明かりが見えたようでした。妻が電話してきた時は、全身が痙攣して口から泡を吹いていたそうです。「キーパー!頑張れ!」と声をかけながら抱きしめたことで、キーパーは期待に応えようと頑張ったのでしょう。妻に店を閉めさせます。戻ってきた妻とヨウコさんを見たキーパーは、又尻尾を振ってくれます。この時点で、キーパーの体に異変がおきていました。左の前足と後ろ足の関節から先(人間だと手首の先かな)が動かなくなっていました。歩こうとするのですが立ち上がることが出来ず、手伝ってあげると立てるのですが、足が折れたまま歩こうとします。左目も見えないようです。左半身が麻痺したのです。でも、ここ数週間無かった食欲が出ました。シュークリームをバクバク!初めての焼肉カルビをバクバク!その食べ方は、野犬が1週間ぶりに餌にありついたように、本能のまま食べているようでした。シュークリームは口移しで与えたのですが、私の唇も舌も、血が出るほど傷だらけです。食べてくれた嬉しさで、痛みも感じません。左半身が麻痺したことにより、食欲が無い原因も麻痺したのです。
1回目の発作から、キーパーは自力で起き上がることが出来なくなりました。起き上がれば、今度は骨折してしまいます。起き上がろうとするキーパーを制止して寝かせます。私たちは交代で眠ります。また発作が起きた時に、いち早く対処するためです。深夜1時。私が仮眠している時です。妻の呼ぶ声で飛び起きます。恐れていた発作です。足は伸ばしきったまま全身が痙攣。筋肉、神経など、全てに1000ボルトの電気が流れているようです。目は眼球が飛び出しそうなくらいむき出しです。口にタオルを入れて、舌を噛むのを防ぎます。こんなキーパーを見たのは初めてでした。あんなに可愛いキーパーが、こんなに苦しそうな顔をしています。「キーパー!もう頑張らなくてもいいよ!もう、寝てもいいよ!」と、私も妻も自然に叫んでいました。3分ほど経ったでしょうか発作も治まり、無事7日の朝を迎えます。7時頃、3回目の発作です。発作を起こしているキーパーを見守るのは、私と妻にとっては辛いことでした。1回目の発作から、「どうか発作だけは起こらないでくれ。」と願っていました。起こる度に、「こんなにキーパーを苦しめないでくれ。」と神を怨みました。
8日の昼頃、キーパーを可愛がってくれた人達が見舞いに来てくれました。すでに意識はなく、時々眉を動かす程度です。その寝顔は、今にも起きだしそうなくらい、やさしい寝顔でした。皆が帰ったのは、午後2時頃だったでしょうか。それから妻と私は、川の字になってキーパーに寄り添って見守ります。呼吸は荒くなったり、普通に戻ったり。5時20分。11歳11ヶ月でキーパーは旅立ちました。私と妻の手の中で静かな眠りにつきます。最後の呼吸。最後の鼓動。「キーパー、ありがとう。」と叫んでいました。その叫びに応えてくれたのか、全ての機能が停止したキーパーは、頭をうなずくように“コクッ、コクッ、コクッ”と3回動かしながら、舌を口から3回ほど“ペロッ、ペロッ、ペロッ”と出します。チュッチュが好きだったキーパーは、最後までキーパーでいてくれました。そして「いままでありがとう」と言ってくれたのだと思います。きっとキーパーは、私達の元へ必ず帰ってきます。一時的な別れです。
ずっと・・ずっと・・一緒だよ・・キーパー
なんで、こんなに悲しいのだろう・・
何でこんなに辛いのだろう・・
今年の夏までは、こんなことになるなんて想像も出来なかった・・
死んでから、何でこんなに可愛いと思うのだろう・・
今になって、こんなに思っても遅いのに・・
でも、くよくよしていても始まらない!
キーパーへの恩返しは、私達が元気であることだろう。
早く、キーパーが戻ってこないかな~
キーパーです!
去年の11歳の誕生日です。
ミニチュアダックスのスムースで男の子。
可愛いでしょう!
読むのが辛くなったら、遠慮なく勇気をもって読むのを止めてくださいね。
彼との出会いは平成7年の2月。
近くのホームセンターのペットショップ。
この頃私はサラリーマンで、ディスカスに夢中でした。今はなくなってしまいましたが某ショップの人と、ペナンへディスカスを買いに行く程でした。今だから話せることですが、購入予算は100万円で、当時流行っていたブルーダイヤを買いまくりました。マンション暮らしなので温室などはありませんが、水槽はリビングに置けるだけ置いていました。その水槽本数は16本!18本だったかな? 男は機械的なものが好きなのか、給排水の配管を組んで、「ゲーベルの温室みたいになってきたな~」と喜んでいたものです。もちろんこの頃ゲーベル氏は、私にとって本の上のスーパースターで、憧れ的存在でした。「会いたい」なんていう、大それた考えもありません。今思えばこの頃から、ディスカスの目標は“魚”ではなくゲーベルという「人」だったのかもしれません。日々、ディスカスの管理を楽にするためにどうするかを考え、配管、電気のスイッチ・・・リビングには似合わない秘密工場を夢描いていました。「何か使えるものはないかな?」と、ホームセンターに通っていたのもディスカスホビーのためでした。
妻(その頃は結婚していなかったので彼女かな)と2人でホームセンターのペットショップを覗いた時、「俺ならこの黒いダックスがいいな。」と飼うつもりもないのでひとり言のように話すと、妻は「え~っ。でも可愛いね。」と話を合わせる程度でした。そんな時、店のスタッフが、「抱いてみます?」とその黒いダックスを連れて来ました。抱っこした瞬間、妻も私も心の中は「家族にしよう」でした。それが“キーパー”です。
平成7年の2月にキーパーを迎え入れ、5月頃まではサラリーマン生活を順調に過ごします。空の45cm水槽を洗うために、風呂まで運んだ時でした。“ギク!”と腰に激痛が走り、1歩も動けなくなってしまいました。このぎっくり腰が、私の人生を一変させるきっかけとなります。仕事を休んでいる期間、「熱帯魚屋でもやろうかな。」と、ポッと浮かんだ安易な考え。6月には退職届を出し、サラリーマン生活に終止符を打ちます。それから11年間、夢中で店をやってきました。キーパーが、家族になったと同時にスタートしたディスカス人生。キーパーと共に歩んだ期間・・だったら良かったのですが・・・。
店を始めてからは、全てが初体験。毎日が戦いで、家族であるキーパーは、本当は家族として扱われていなかったのかもしれません。ディスカス人生を歩むには、キーパーが足手まといだったのかもしれません。私が店へ行けば、キーパーは留守番。キーパーの留守番生活が何年続いたでしょうか?2~3年経った頃でしょうか、いつでも一緒にいられるように店に連れて来たこともありました。1年くらい頑張ったのですが、お客様が来ると吠えてご挨拶。キャンキャンならまだいいのですが、体の大きさに似合わず大きな声で“ウォン!”と一発かまします。お客様もビックリするのですが、私も毎回ビックリ。キーパーを可愛がってくれるお客様も多かったのですが、1年後にはリストラされ、家の留守番役に舞い戻ってしまいました。
キーパーの生活は、私たちが起きる時間と共に起床。11時半頃に私たちは仕事に出かけると、キーパーは留守番。私たちの帰宅は夜の9時半頃。時には午前様の時もあります。朝の数時間と夜の数時間は、キーパーと遊んであげられるのですが、それ以外は一人ぼっち。彼の人生は留守番人生だったのかもしれません。
キーパーはとにかく遊び好きでした。最近のお気に入りは、女性が髪を束ねる輪ゴム。普通の輪ゴムくらいの大きさですが、もっと太くて細い毛糸のようなもので包まれているものです。100円均一のショップで、いつもまとめ買いしていました。このゴムをジュータンや布団の下に自分で隠し、掘って探します。ゴムを探しているキーパーに「無いね~」と声をかけるとパワー全開で探します。犬用の“ピーコ!ピーコ!”鳴るおもちゃも大好きでした。彼は鳴らすのが目的ではなく、鳴らなく破壊することが好きでした。平均10秒程度で壊す早業です。昔、ペットのおもしろビデオに投稿しようと思った特技もありました。それは、これも女性が髪を束ねるものですが、ヘアーバンドで遊びます。幅3cmくらいで、両手で輪を作ったくらいの大きさの物です。これを片足に引っ掛けて地面に固定し、鼻に引っ掛けてヘアーバンドを伸ばし、足に引っ掛けていたのを外します。すると伸びていたヘアーバンドは、勢い良く空中に飛び出します。足と鼻を使ってヘアーバンドを伸ばして飛ばすのです。そして・・・キャッチ!
私たちが家に帰れば、「待ってたよ~。何して遊ぶ?」と、いつでも私たちの周りにいてくれました。留守がちな私たちが家にいる時は、べったりの甘えん坊。いつでも元気な姿でいてくれたキーパーが、今年9月に体調を崩しました。今、思えば8月の終わりごろから異変があったかもしれません。9月初め、急激に元気が無くなり、寝ていたキーパーが起き上がると同時に、おしっこを大量に漏らしてしまいました。食欲も無く、獣医さんには心臓弁膜症と診断されました。このとき妻は、「このまま死んでしまうのかな?」と思うくらい、元気が無かったそうです。私は出張だったので、後で聞いたことでした。私が出張から帰った頃は、獣医さんのおかげで元気を取り戻していました。元気になったキーパーに、「あまり遊びすぎると、心臓が壊れちゃうぞ。」と声をかけますが、いつものペースで遊びまくります。こんな姿を見ていると、何の不安もありませんでした。
10月後半。徐々に食欲がなくなってきました。あれだけ食べることが好きだったキーパーが、朝ごはんを一口も食べません。獣医に行くと、おしっこが出ていないことが分かりました。おしっこの回数が増えていたのは知っていましたが、年をとったので回数が増えたと思っていました。でも膀胱はパンパンで、カーテルでおしっこを出してもらいます。帰宅すると、おしっこもスッキリしたのか食欲も戻り、バクバク食べてくれました。それからは毎日獣医に通い、おしっこを出してもらいます。時には、1日2回通ったこともありました。家では、膀胱を押しておしっこを搾り出します。おしっこを出して食欲が出たのは、初めの1回だけでした。少しは食べてくれるのですが心配です。犬用の缶詰は、店が開けるくらいいろいろな種類を買いあさりました。獣医に薦められた、マグロの赤身、牛の赤みは、すでに食べてくれません。プリンを与えれば、初めは食べるのですが続きません。ヨーグルト、シュークリーム。「何でもいいから、口にしてくれ。」と必死でした。この頃は、獣医さんでおしっこを出してもらいながら栄養剤を注射してもらう生活でした。キーパーが生きるためなら、1年でも2年でも獣医に通う気持ちです。きっと妻も、永遠にキーパーと共に獣医に通いたいと思っていたはずです。
11月6日。私はいつも通り昼前に店へ出かけます。妻は家でキーパーの看護です。14時過ぎだったでしょうか、妻から電話があり「キーパーが!帰ってきて!」と、電話の向こうで泣き叫んでいます。店はヨウコさんに任せて、すぐに帰宅。家に帰ると、横たわったキーパーは顔を上げて私を見るなり、尻尾を全開に振って喜んでいます。“だめか”と思いながら家に帰った私にとって、明かりが見えたようでした。妻が電話してきた時は、全身が痙攣して口から泡を吹いていたそうです。「キーパー!頑張れ!」と声をかけながら抱きしめたことで、キーパーは期待に応えようと頑張ったのでしょう。妻に店を閉めさせます。戻ってきた妻とヨウコさんを見たキーパーは、又尻尾を振ってくれます。この時点で、キーパーの体に異変がおきていました。左の前足と後ろ足の関節から先(人間だと手首の先かな)が動かなくなっていました。歩こうとするのですが立ち上がることが出来ず、手伝ってあげると立てるのですが、足が折れたまま歩こうとします。左目も見えないようです。左半身が麻痺したのです。でも、ここ数週間無かった食欲が出ました。シュークリームをバクバク!初めての焼肉カルビをバクバク!その食べ方は、野犬が1週間ぶりに餌にありついたように、本能のまま食べているようでした。シュークリームは口移しで与えたのですが、私の唇も舌も、血が出るほど傷だらけです。食べてくれた嬉しさで、痛みも感じません。左半身が麻痺したことにより、食欲が無い原因も麻痺したのです。
1回目の発作から、キーパーは自力で起き上がることが出来なくなりました。起き上がれば、今度は骨折してしまいます。起き上がろうとするキーパーを制止して寝かせます。私たちは交代で眠ります。また発作が起きた時に、いち早く対処するためです。深夜1時。私が仮眠している時です。妻の呼ぶ声で飛び起きます。恐れていた発作です。足は伸ばしきったまま全身が痙攣。筋肉、神経など、全てに1000ボルトの電気が流れているようです。目は眼球が飛び出しそうなくらいむき出しです。口にタオルを入れて、舌を噛むのを防ぎます。こんなキーパーを見たのは初めてでした。あんなに可愛いキーパーが、こんなに苦しそうな顔をしています。「キーパー!もう頑張らなくてもいいよ!もう、寝てもいいよ!」と、私も妻も自然に叫んでいました。3分ほど経ったでしょうか発作も治まり、無事7日の朝を迎えます。7時頃、3回目の発作です。発作を起こしているキーパーを見守るのは、私と妻にとっては辛いことでした。1回目の発作から、「どうか発作だけは起こらないでくれ。」と願っていました。起こる度に、「こんなにキーパーを苦しめないでくれ。」と神を怨みました。
8日の昼頃、キーパーを可愛がってくれた人達が見舞いに来てくれました。すでに意識はなく、時々眉を動かす程度です。その寝顔は、今にも起きだしそうなくらい、やさしい寝顔でした。皆が帰ったのは、午後2時頃だったでしょうか。それから妻と私は、川の字になってキーパーに寄り添って見守ります。呼吸は荒くなったり、普通に戻ったり。5時20分。11歳11ヶ月でキーパーは旅立ちました。私と妻の手の中で静かな眠りにつきます。最後の呼吸。最後の鼓動。「キーパー、ありがとう。」と叫んでいました。その叫びに応えてくれたのか、全ての機能が停止したキーパーは、頭をうなずくように“コクッ、コクッ、コクッ”と3回動かしながら、舌を口から3回ほど“ペロッ、ペロッ、ペロッ”と出します。チュッチュが好きだったキーパーは、最後までキーパーでいてくれました。そして「いままでありがとう」と言ってくれたのだと思います。きっとキーパーは、私達の元へ必ず帰ってきます。一時的な別れです。
ずっと・・ずっと・・一緒だよ・・キーパー
なんで、こんなに悲しいのだろう・・
何でこんなに辛いのだろう・・
今年の夏までは、こんなことになるなんて想像も出来なかった・・
死んでから、何でこんなに可愛いと思うのだろう・・
今になって、こんなに思っても遅いのに・・
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早く、キーパーが戻ってこないかな~
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2006/11/26(日) }
痛ぇ~~~
やっちゃった~
昨晩、ディスカスホビースト主催の忘年会に参加させていただいた。ディスカスという共通の趣味をもつ人達が集まる、パワフルな大忘年会でした。
何時間飲んだかな~?5時半スタートだったが、私は1時間ほど遅れての参加。6時半頃から飲み始めて・・何時だったか分からない。帰りのタクシーで帰るコールしたのが2時43分。飲みすぎた~!
一昨日の夜は名古屋のお客様と飲み、昨晩はディスカスクレイジー達と酒を浴び、今日は重度の二日酔い。頭は痛いし、酒臭いし・・今日は良い子でまっすぐ帰ろう。機会があれば、また参加させていただきたいが、飲みすぎには注意しよう。しかし、あっと言う間の楽しい時間だったな~
今回も良い勉強をさせていただいた。ディスカス界を真剣に考えているのは、仕事とする業界人ではなくホビーストだろう。今、私は来年のディスカスコンテストを思い描いている。ホビーストが歩む道を我々業界人が作るのではなく、共に楽しむことで道が開けるだろう。ホビースト20人のパワーもすごかったが、これが100人、200人と集まれば、何事も成せる。これは決して夢物語ではない。今の時代だから出来る気がする。頑張るぞ!
やっちゃった~
昨晩、ディスカスホビースト主催の忘年会に参加させていただいた。ディスカスという共通の趣味をもつ人達が集まる、パワフルな大忘年会でした。
何時間飲んだかな~?5時半スタートだったが、私は1時間ほど遅れての参加。6時半頃から飲み始めて・・何時だったか分からない。帰りのタクシーで帰るコールしたのが2時43分。飲みすぎた~!
一昨日の夜は名古屋のお客様と飲み、昨晩はディスカスクレイジー達と酒を浴び、今日は重度の二日酔い。頭は痛いし、酒臭いし・・今日は良い子でまっすぐ帰ろう。機会があれば、また参加させていただきたいが、飲みすぎには注意しよう。しかし、あっと言う間の楽しい時間だったな~
今回も良い勉強をさせていただいた。ディスカス界を真剣に考えているのは、仕事とする業界人ではなくホビーストだろう。今、私は来年のディスカスコンテストを思い描いている。ホビーストが歩む道を我々業界人が作るのではなく、共に楽しむことで道が開けるだろう。ホビースト20人のパワーもすごかったが、これが100人、200人と集まれば、何事も成せる。これは決して夢物語ではない。今の時代だから出来る気がする。頑張るぞ!
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